
和尚さんが日ごろ感じたことや、思ったことを日記にしています。
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第19回 シアトルより想いを込めて 「歴史と景観」
2003.10.15
シアトルの北東に位置する小高い丘、キャピタルヒルは、同じくシアトル北西の丘陵地クイーンアンと比肩されるシアトル市きっての古い
高級住宅地である。このお屋敷街の北のはずれには、ボランティアパークと呼ばれる森を抱いた緑深い公園がある。広い園内には、美術館などもあるが、
敷地の殆どは、芝生、池、森、散歩道などが連なり静かで美しい空間を保っている。この地域一帯には、お店、看板と言った類のものは勿論無い。
人影もまばらで、訪れる人々は、静かで贅沢な時をここで過ごす。日本によくありがちな遊具だのと言ったものも一切無いから人々は唯、歩いたり、
風に吹かれたり、樹木の匂いを感じたり、小鳥が飛ぶのを遠くから眺めたり、ときには芝生に腰をおろして寝転んでみたり、本を持参して読んだりと、
自然を豊かに残したこの空間に身を置いて、たっぷりとしたときを楽しむ。ときには若いカップルが肩を抱いて愛を語り合ったりしている光景も見
られるが、訪れる人の多くはお年寄りのご夫婦だ。陽気のいい晴れた日には、森や公園に来て木々の精気を身体いっぱいに感じとり、雨や風の冷たい
日は、家の炉辺で睦まじく語り合う。そんな老夫婦の日常がうかがえるようで、傍に見る目にもほほえましく感じられる。はにかむような笑顔で、
見知らぬぼくにも目で挨拶を交わしながら過ぎていった老夫婦のうしろ姿の中に、派手さは無いがきっと充実した人生を過ごしてきた人なのだろうと
思うほどの品性と気の静まりを感じた。
公園からつらなる住宅地は、この地域が造営されて百年以上を経た今も建築当時のままの姿で木立の間にその建物が窺がえて美しい。
格調高いウインザー調や優美なビクトリアン調、煉瓦造りのイングリッシュチューダー、白亜のコロニアルスタイル、果ては中世の古城を思わせる
石造といった造りのお屋敷が建ち並ぶ様子は、ちょっと日本では想像し難い荘重さである。古きよきその時代とは違って、今ではこのような家の
維持管理は大変であろうと思われるが、条例できっちり定められているからそれを壊したり、建て替えたり、外観を変えたりすることは決して侭
ならない。だからこそ当時のままの姿で残されているともいえよう。その殆どは、現代のような車社会以前の建造物であるからガレージなどの設備は
不便で、住まうには使いにくいものとなっていることは否めない。ワシントン湖の東に広がるベルビューなどの新しい高級住宅地域に比べれば、
便利さや敷地の広さなど及ぶべくも無いが、その風格や佇まい、滲み出る格調といった点では、それらの追随を決して許さない。しかし、この壮大
ではあるが古く厄介な建物を住宅として使いこなし保存することは、なかなか骨の折れることであり決して法律や規則だけでそれを支えられるもの
ではない。それは、そこに住む人たちの伝統を尊び、歴史を愛する心がそれを支えつづけている。
言うまでもなくアメリカの歴史は、世界の多くの国々に比べて遥かに浅い。たかだか200年の歴史の中では、百年の星霜を経た建築遺産は貴重なもの
であるに違いない。ましてやこの地域つまりシアトルの歴史は、150年にしかならないことを思えば当然であろう。それにつけても、近代化の名のもと
数百年、否、千年に及ぶ歴史景観を惜しげもなくぬぐい去り、太古より受け継がれ、護りつづけられた美しい自然景観をいとも簡単に破壊し去った
現代の我々日本人は、その結果得られた便利さや経済性と置き換えに、それ以上に大切なものを失い去ってしまったのではないかと愁うるのはぼく
だけではないだろう。それは目に見る景観だけではない。心の豊かさや民族の誇り、自然を畏怖する謙虚な心までをも失ってしまったような気がし
てならない。荒んだとしか言いようがない現代の世相を見るにつけ、ぼく達は今一度このことを考えてみなければならないだろう。今からでも決して
遅くはない。一度立ち止まって、人間の深い智恵を働かせてみてはどうだろうか。秘された新しい価値観を見出せるに違いない。
狭い日本、もうここらあたりで物や便利さの追求は止めにしたらどうなのだろうか。
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