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和尚さんが日ごろ感じたことや、思ったことを日記にしています。
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第20回 シアトルより想いを込めて 「鍵」

2003.10.17

シアトルの街中、スターバックスコーヒーでお手洗いに入ろうとしたときのことである。ドアーを開けようとしたら鍵が掛かっていて開かない。 当然ながらどなたか先客があると思ってしばらく待っていたのだが、一向に出てくる様子がない。あまりに長いので、少し遠慮勝ちにではあったが ノックしてみた。しかしそれでも何の応答もない。思い切ってもう一度やってみたのであるがやはり同じ。どうも不審なのでカウンターに戻り店員 に事情を話すと、鍵をお持ちくださいと言ってばかでかいキーホルダーの付いた鍵を渡してくれるではないか。何のことはない、この店では常時 トイレに鍵をかけているのである。何故にと考えるまでもなく、その理由は直ぐに察しがついた。おそらく店の客でもない者が横着にも通りすがりに トイレだけを使っていくのに業を煮やしたからなのであろう。まあこういう店も珍しいといえば珍しいのであるが、トイレにまで外から鍵をかけ なきゃならない社会の方がどこか異常ではある。しかし、身辺を見回してみれば、現代社会のありとあらゆるところ全て鍵だらけとも言える。 ぼくでさえ常時持ち歩いている鍵だけでいくつもある。家の鍵は言うに及ばず、車のキー、郵便箱の鍵、その他、計4個だ。ぼくなどはまだまだ 少ない方で、10個も20個もジャラジャラと持ち歩いている人を見かけるのもそう珍しくはない。現実の鍵だけではない、コンピューターの 中まで鍵だらけだし、セキュリティーシステムという凡人には理解不可能な鍵まである。これも自己防衛と言ってしまえば正にその通りなのだが、 見方によっては何とも寂しい限りである。

そうは言うものの現実は厳しい。現にシアトル高野山教会はじめ、ダウンタウンの殆どの教会やお寺は、周囲にフェンスを廻らして完全に ロックアウト状態にある。そのフェンスの鍵が開けられるのは日曜日のほんの数時間だけ、それどころかフェンスの次には玄関、そして本堂、 更に事務所と、ここだけでもいくつもの鍵が存在している。ぼくなどは、アメリカ社会にまだまだ慣れないからそこまでしなくてもと思うのだが、 ロサンゼルスの教会などでは、フェンスの中に停めた車の窓ガラスを何度も割られたと聞くからなんとも空恐ろしく、鍵社会は仕方のないことなの かもしれない。

もともと日本人には、そもそも鍵などというもの、あまり馴染みのないものであった。古い日本の住宅の中で考えつく鍵と言えば、 蔵の鍵ぐらいではなかろうか。母屋などはせいぜい夜になってから錠を落とすくらいで、鍵などと言うものは無かったのではないかと記憶している。 入ろうと思えば、何時でも何処からでも入れる。障子や雨戸は、人間を締め出すためのものではなく雨風から家を護るための装置に他ならなかった。 用心が悪いといえば悪いのだが、それほどまでの危険性を感じない社会であったことは間違いない。今ではどうなっているか知らないが、 ついこの間までは鍵の無い家など村の中にいくらでもあったように思う。そうは言っても毎日の3面記事に見られる犯罪社会を考えるとき、 そうそう能天気なことばかりを言ってはいられない現実のあることも承知してはいる。しかし、あまりにも鍵、鍵、鍵と鍵社会が進んでいく中、 ぼく達はお互いの心の中まで鍵をかけてしまってはいないだろうか。それほどまでに用心深くし、それほどまでに自他を区別しなければならない社会は、 やはりどこか悲しい。鍵は他の侵入を防ぐための道具であるが、見方を変えれば自他を区別するための装置とも言えよう。少なくとも自分を取り巻く 家族や友人達には、いつも心開いていたいと思うし、それをもっと広げていかれたらもっともっと心豊かになれることだろう。ぼくたちは、 心だけでももう少しおおらかでいたいと思う。少なくとも心にだけは鍵をかけなくてもいいような、そういう人生の日常を過ごしたいと願っている。







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