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和尚さんが日ごろ感じたことや、思ったことを日記にしています。
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第22回 シアトルより想いを込めて 「和尚の独り言」

アメリカに住んで6年になろうとしている。この頃少しずつ解ってきたことは、結局アメリカ人は、自己主張とお金を最も重要に考える人種だ ということ。それは別にアメリカ人の悪口を言っているのでも何でもなく、素直にその通りの人種なのである。当のアメリカ人もそれが別に悪いこ ととも何とも思っているわけではなく、ごく当たり前のことと信じているようだ。勿論一口にアメリカ人と言っても多種多様な人種がいるわけだか ら押しなべて一様に扱うわけにはいかないことは充分に承知しているつもりである。ここでぼくがアメリカ人と言っているのは、むしろアメリカ社会 と言い換えた方がいいのかもしれない。言い換えた上で、斯様に割り切った方がうまくいくというか、ことが簡単に運ぶというか、もっと言うならば 自然のことと言ってしまえるのかもしれない。

多くの、そして確かな気質と環境を伴って日本に育った人ならば、信義、信頼とか尊厳や誇りと言うような目先の利害得失を超えて大切なものが あること、そして謙譲の美徳というものがあることを育ちの中で体感してきている。それが当たり前すぎて多くは気づかないでいるが、 ぼくたちは確かにそのように思考し、行動しているように思われる。しかしアメリカ社会の中ではそういう価値観や人生観は、言葉の上には あるのかもしれないが実生活の中ではあまり期待しない方が賢明に思われるし、実際に即していない。日本的心情を踏まえて生きようとしても、 それはアメリカ社会の中では精神衛生上も芳しいこととはならないのである。そのように考えると、最近のブッシュ大統領の言動など実に解りやすい ということになると思うのだが、如何か。

さて、シアトルに赴任してぼくの最初の違和感は、ぼくのことを皆が開教師だとか、先生だとか呼んでくれることだった。 岐阜の方言では「おっさま」と呼ぶのだが、とにかくぼくは、お寺の和尚なのである。先生などと呼ばれてたまるものか、開教師などとは呼 ばせないぞ、そんな呼ばれ方をするくらいなら呼び捨てにされたほうがまだ気持ちがいい。そう思って今日まで抵抗を試み続けている。断っておくが、 本物の先生に対して決して恨みがあるわけでもないし、別段悪い心情を持っているわけでもない。ただ、ぼくが先生とは異なる職業の人間であ るということを言いたいだけである。ましてや和尚と呼ばれて威張っていたいわけでもない。付け加えておくが、ぼくは別に偉い僧正でも無ければ 高い位が有るわけでもない。5千人いるのだか、1万人いるのだか知らないが、高野山真言宗僧侶の末席を汚していることだけは間違いないから ニセ坊主というわけでもない。一応はお寺の住職なのだからやはり和尚である。世界共通の和尚であってアメリカに来たからといって殊更に 開教師と言う必要もあるまい。そう思っているのである。

6年に及ぶ努力の甲斐があってか、若い人たちは親しみをこめて「和尚さん」と呼んでくれるようになった。







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