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第24回 シアトルより想いを込めて 「スピリチュアル」

2004.7.10

アメリカでのぼくの友人の一人に長澤伸穂さんというアーティストがいる。ドイツの大学ではジャスパージョーンズなどとも交流があり、日本でも 陶芸を鯉江良二氏になどに師事した。とにかく30代の若さでカリフォルニア大学教授に抜擢された才媛だが、現在は招聘を受けてニューヨークの 大学に移りマンハッタンに住んでいる。彼女自身は自分をアーティストと呼んでいる。職業はあくまでもアーティスト、たまたま大学というところで 美術を教えている、と言った方が適切なのかもしれない。小さな体のどこにそんなパワーがあるのだろうと思うくらいエネルギッシュに世界を狭しと 飛び回っている。売れっ子と言いたいところだが、そう言ってしまうと何か日本的に誤解されそうだし、軽薄になって了って彼女に失礼になるから そうは言わないことにしよう。アメリカでは売れっ子だから素晴らしいのでは決してない、実力だけが頼りの世界なのだから。

先日、彼女がシアトル出張のとき夕食を共にして話が弾んだ。2年前、彼女がカリフォルニア州サンタクルーズからニューヨークに引越しのときの ことである。長年住み慣れたサンタクルーズの家を空けることになるのだが、15年も住んでいればもう物がいっぱいに溜り溜っている。 とてもマンハッタンのアパートには入りそうもないので、当面の必要なものをトランクに詰め込み、他はストレージを借りて保管することにしたようだ。 アメリカではこういうとき用の個人向けストレージ、つまり倉庫であるが、そこら中にいくらでもあるからごく当たり前のことだ。しかし、 彼女はそれから2年間、倉庫の物を一度も使う機会がなかった。考えてみれば洋服であれ何であれ今のぼくたちの状況からすれば、半分に減らしても、 そのまた半分に減らしても何の不自由もなく生きていかれるというもの。戦後の不自由時代を引き合いに出すまでもないことだが、 物の量は何分の一かに減らしたとしても別に不自由が生じるとは思えない。それほどまでに物が多すぎるのであろう。 "2年間一度も使わないで済むという ことは結局は不必要な物なのだ” そう覚った彼女はそのストレージの物をすべて処分してしまったという。さっぱりと身軽になってみるとこれが 又たまらなく快適であることに気がついた。「今まで何にとらわれていたのだろうと、後から思い返すと不思議なほどです。」という彼女の話を聞いて、 ぼくも日頃考えているところと意見が一致したものだから二人で喋り捲ることとなった。

「今、ぼくたちの周りにはあまりにも物も情報も多すぎる。多く抱え込みすぎているから必要なときにそれを使いこなせないで、返って不自由を 生じてしまうこととなる。これからの生活に大切なことは、スモール(small) スロー(slow) シンプル(simple)の3つの「S」だ。そういう 生活に立ち返ることによって神秘性が見えてくるのではないか。」

ぼくの話に耳を傾けていた彼女は、「その神秘ってスピリチュアル(spiritual)じゃあないの、すごいわ!4つ目のSよ」と、話を弾ませた。

という具合で二人の意見は、現代人に神秘を感じ取る余裕がないのは、あまりにも多すぎる物や情報が返って重荷になり、静謐な世界に身をおくこと すらできないでいるのではないか。それに物や情報は必要なとき必要に応じて取り出せるから価値があるのだが、今のように抱え込むだけ抱え込ん でしまって必要なときに何処にあるのか判らないといった状況ではかえって邪魔にこそなれ、何の役にもたたないことになる。昔の蔵を思い出して みるといい、蔵番という整理番号をきちんと付けて、整理保管してあるからこそいざという時にも役に立つ道具であった。押入れや倉庫の中に積み 上げてあるだけでは何の役にも立たないし、つかう予定のない洋服や靴ならいっそ無い方が余程すっきりしている。というわけで、ここまでなら 誰しも納得できるところであろう。しかしである、それを処分してしまうとなると言うほどに容易いことではないようだ。あれも惜しい、 これも惜しいとなってなかなか捨てきれない。これを人間の執着心というのだが、この執着心という厄介者そう簡単にそげ落とせるものではない。 死ぬまで抱え込んでどうするか! 三途の川で赤鬼に剥ぎ取られるのが落ちじゃあないか、と自分に言い聞かせてみるのだが、実際にはこの執着心と やらが赤錆の如くべったりとこびりついて、そう簡単に剥がれるものではない。物量や情報が溢れかえり、夜昼を問わず喧騒、騒然とした現代生活 に神秘性を求めることそれ自体もうとても困難なことと言わざるを得まい。

しかし、いくら科学の発達した現代といえども、生命の生まれ来る神秘、生命の去り往く神秘、それだけはどうにも手のつけようもない。 人間にとって最も大切な心と魂の平安は、神秘性を感じることによってのみ与えられるとするならば、これを先へ先へと押しやっていったい 人生の何を生きようというのか。われわれはこの神秘に触れることを欠かしては生きていられないのに。

この神秘性こそ彼女の言う四つめの”S”、スピリチュアルのそれである。

「そうだわ、今日はいいことを聞いたわ、明日のプレゼンテーションはシンプルで、簡潔にいかなくっちゃあ」

彼女の話によると、シアトルの新市庁舎玄関を飾るアートコンペのプレゼンテーションが明日あるのだという。全国公開コンペで何でも全米の 一流アーティストばかりが参加しているということだった。現代のレオナルドと彼女が尊敬してやまないジム、キャンベルも参加しているようだ。 最後に7人のアーティストがプレゼンテーションをして一人が採用されるということらしい。

「私はどうも早口でしゃべりすぎる嫌いがあるから、明日は今回のコンセプトを4つの ”S”で表現してみるわ」…

後日、ニューヨークから電話があって、今回は実力者ぞろいのコンペで、参加するだけでもわくわくしていたのに、予期しなかった私に決まりました、 との嬉しい知らせであった。

ぼくの三つのSから神秘が生まれるという話が利いたわけではないだろうが、とにかく彼女の実力には恐れ入った。それこそ神秘の何かが働いたのだ と思う。

しばらくは彼女もこの仕事のためにニューヨークとシアトルを往復することになるだろう。また一緒に食事ができる機会が増えた、 こっちにとっても嬉しい限りだ。







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