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第31回 「アメリカの豊かな時代」

2005.3.18

今、ぼくの部屋に一枚のパネル写真がある。写真の人物は、往年の映画スター、オードリー ヘップバーンだ。老若男女、世界中の人々をその魔力とも 言える存在感と魅力の中に引きづり込んだ彼女ほどの映画俳優は、類稀であろう。未だ嘗て彼女をしのぐほどの女優は世界に現れてはいない、ぼくは そう思っている。間違ってもマリリンモンローやブリジットバルドーとは一緒にしないでほしい。彼女たちには、アメリカ娘の快活さや、大胆さは 認めるが、悪戯っぽさの中に潜む小悪魔的な魅力や、上品な大人の魅惑、品性の気高さという点においては、オードリーの比ではない。

さて、件のパネル写真であるが、これも一世風靡の名映画「ティファニーで朝食を」の一場面なのである。写真はモノクロ。セピア色に褪せてはいるが、 高級装飾店ティファニーの店先に紙のコーヒーカップと小さな紙袋を持ったオードリーが真正面に立っている。背景にはニューヨーク五番街があり、 街行く人々が店越しに映し出されている。街中の人々は、男は皆ジャケットを纏い、帽子を被っている。ジャケットは今の感覚からすれば少し古い感じ がしないでもないが、でも、何の違和感もないほどに上品であり、ダンディーである。女性は一様にロングスカート、ブラウスにこれまたジャケットと 言ういでたち、少々重い感じではあるがそこには皆それぞれにある種の気品が感じられる。

そういう背景の中、オードリーだけが大胆なノースリーブ。ほっそりとした彼女の端正な上半身が肩を露にして大写しされている。街中の人々の厚着とは まるで対照的なオードリーのその瑞々しい姿が、なお更に彼女の魅力を引き立たせているとも言えよう。大きなトンボのサングラスの中に彼女の美しい 顔立ちが見て取れるが、その胸元にはティファニーの豪華なネックレスが光っている。一枚の写真の中だけでもこれだけの演出がある。映画監督の器量の ほどが伺えよう。

ぼくはこの写真パネルを先日シアトルのギャラリーで見つけ、即座に買ったのだが、五十年を経た今日でも、セピア色のたった一枚の写真が、これほど までに男の心を捉え、胸ときめかせるほどのオードリーの魅力とは、天性の魔性と言うべきなのかもしれない。

オードリーに触発されたわけでもないが、注意してシアトルの街中を歩くと、古い時代の写真が結構売られていることに気付いた。 目に付いたものを三枚ほど買ってみたが、どれも時代は更に遡り1900年代初頭のものばかり。今から百年前のシアトルダウンタウンや、 野外市場の写真である。

賑わう街頭や市場の風景には、当時の人々が多く写し出されているのだが、それらの人々の日常の姿を見て気がついたことは、どの人も服装を 一様にきちんと整えていると言うことである。誰一人としてジャケットを纏わぬものはいないし、ネクタイをしない人もいない。女性とて同じだ。 フレアーのロングスカートにウエストの細く締まったジャケット、それに帽子である。

これを古めかしいと見るか、美しい身だしなみと見るかは意見の分かれるところであろうが、それにしても百年前のアメリカと言えば、 まだまだ開拓時代から抜けきっていない困難な時代であったはずだ。ぼくはその街中の人々の日常の中に、心豊かで健全なアメリカ社会を感じずには いられない。どんなに困難にあり、貧しくあろうとも当時の人々がその社会的様態を重んじ、街頭のあるべき状態を整え、それを心がけてきたのか。 これこそ心の豊かさゆえに出来得る社会の品格と言えるものだろう。そう思うのだ。

今は経済や軍事、物量の面では豊かすぎるほどになったアメリカだが、街中の風景や人々の姿の何とみすぼらしいことか。一流と言われるホテルや レストランに行くにもジーパンやサンダル履きでもヘイチャラ、歩きながらハンバーグはかじるしジュースも飲む、おまけにこの頃では携帯電話という オモチャまでが加わって、街中で恥ずかしげもなく機械に向かって喋り捲る。はしたないことこの上ないが、これはもう社会の流行とか言うものなんか では決してない。礼節をわきまえぬ俗悪な風習の他なにものであろうか。そして日本では見たこともないような、異常としか言いようのない巨満体の 男女が街中をのし歩く。飽食の時代といって喜んでいて本当にいいのか。人間社会の退廃は、その心が姿かたちに現れてきたとき、既に相当に進んで しまっているような気がする。

品性と品格を保ち続けている人々は、今でもまだヨーロッパには多い。歴史的伝統と心の豊かさを大切にする人々の気概がそれを支えている。 金と権力、効率だけを追い求めて止まないアメリカという社会は、紳士はおろか人間の気概まで失ってしまったのだろうか。そういうアメリカを 盲目的に追随する日本、はたして大丈夫か。

日本には曾ては、「衣食足って礼節を知る」「武士は食わねど高楊枝」などに言い表される気高い心意気があったはずだ。そんなものはもう古き時代の 亡霊なのか。それとも「小人閑居して不善を為す」の体、現実と受け止めて看過すべきなのか。

ぼくはセピア色の写真をつくづく眺めながら、アメリカの本当に豊かな時代とは、いったいいつだったのか、それは嘗てアメリカがひたむきであった 往年の時代の中にこそ見出されるのではないだろうか。そして今の日本は果たしてどうだろうか、豊かになったのだろうか、考えずにはいられない。







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