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2006.11.15
シアトル神護寺
西部法照

「瑞々しい自然のシアトルより」

9月下旬のある日、知り合いから電話があって川にサーモンがのぼって来ているので見に来ないかと誘いをうけた。その家には、以前にも幾度かお邪魔をしたことがあるのだが、シアトル郊外の森の中の静かな住宅である。敷地も広く辺りはうっそうとした森に囲まれていて、庭先に小川が流れていることは知っていたのだが、その川にサーモンが上がってきているというのである。シアトル周辺にはサーモンが遡上する川がいくつもあることは承知しているのだが、まさか住宅地の中の川にまで上ってくるなどは、想像できないのでどんな様子なのか試しに行ってみることにした。

彼らの家は、シアトル神護寺からは車で30分ほどの所なのだが、この辺りには何処にでもありそうな森の中の住宅地の一角にある。新しく開発された住宅団地に比べれば屋敷というか敷地は相当に広いが、殊更に豪邸というほどでもない、普通の家である。ただその辺りの住宅が深い森の中に点在していて、自然の森の中に家々が見え隠れしているとでもいったらいいのだろうか。こういうところが普通の住宅地なのだから、国土の広さゆえもあるだろうが、土地柄というか、日本の住宅地とは相当に様子が違うことは、想像いただきたい。

この家の住人は30代前半の若い夫婦、やはり国際結婚組である。日本人の妻に白人の夫、夫婦共にコンピューター関係の仕事についていたが、最近、婦人の方は大学に戻り何か新しい勉強を始めたようだ。未だ子供はないが、夫のスコットは、家に居るときは自然の森を散策したり好きな読書に耽ったりと簡素で静かな生き方を好んでいるようだ。婦人は、おっとりとした中に人懐っこさが滲み出ていて、一昔前の日本人と言った方がいいかもしれないと思うくらい素朴な人である。

さて、家内と共にその家を訪れた私は、昨夜の雨で少しばかり増水したその屋敷の小川に近寄ってみた。とたん幅2メートルほどのその小さな川に大きさは50センチから80センチぐらいであろうか、確かに魚影を見た。否、最初は魚影と思ったのだが、そこで見たものは魚影などではなかった、生きて跳ねくるサーモンそのものを手を伸ばせば届きそうな位置に見ているのである。雨で増水した川の少々きつい流れに果敢に挑んで、川幅の大きさの割には大きめのサーモンが数匹も連なって上へ上へとのぼっていく様子を目の当たりにしてしばし見とれた。そして次々に遡上してくるサーモンに私達の目は釘付けとなり、一瞬我を忘れて呆然とそこにしばらく立ち尽くすことになってしまった。サーモンにとっては太平洋を回遊し終えた長い旅路のその最終の到達点である自身が生まれ来たこの急流に最後の力を振り絞って、赤と青のその肌を渓流の瀬に擦るように上っていく。もう川の最上流に近いその辺りでは、卵を産みつけようとして尾ヒレで川底を掘っている姿も見られる。体力の限界をつくしたサーモンは、ときに急流の力に耐え切れずあっという間に10メートル以上も押し流されてしまうこともしばしばだ。それでもまたその急流に再度挑みかかっていくその姿は、健気というより壮絶ですらある。

最後につがいになった雄雌の2匹は、渓流のよどみを選んで少々の穴を掘り卵を産む。産卵の後、2日間ほどは末期の力を持って卵を護るが、ついには死に果てて川底に沈む。

数ヶ月の後、卵は稚魚にかえるが、勿論稚魚は親の顔を見ることはないし、親も子の顔を見ることは叶わない。誰に教わるともなく稚魚は、川を下り太平洋の大海原へと出て行く。大洋を周遊したサーモンが、数十センチ、ときには1メートルほどにまで成長して生まれ故郷の元の川にもどってくるのは数年の後である。しかも、産卵の後に果てた雄雌の親魚は、この小さな川に於いてもおそらく数百匹の多きにのぼるのだろうが、いつの間にか死魚の姿はどこかに消えうせ、川は清流のまま何ごともなかったかのように静かな流れを保つ。大自然の摂理なのであろうが、まことに神秘に満ちた自然生命の回帰である。

広い太平洋の中から元の小さな川を見出して戻り来ることは、地理的や方角的には全く不可能なことといえよう。だったら彼らは何故この川を探り当てることが出来るのだろうか。不思議というほかないが、私には不思議を通り越して神秘としか言い表すことができない。

ワシントン州シアトル郊外の名も知らぬ小さな渓流にも、生命の神秘の営みが始めも知らぬ太古の昔から永遠に続いているという実際があった。そこで生まれた魚が元の川に上り来るということは、昔から誰もが知っている当たり前のことである。しかし、魚はただひたすらに谷川を上へ上へとのぼっていく、急流に押し戻されようと、川底の石に腹を擦り、体中を傷だらけにしながらも尚もその渓流に挑んでいく。

それは自身がその上流の地で生まれたというただそれだけの事実、それ以外の何ものも見当たらない。サーモンをして生まれ故郷の小さな川に間違いなく導く不思議、きっとそれは卵を産み落として後果てた親魚、そしてそれらの先祖が導いているのに違いない。私は、その神秘とも思えるサーモンの遡上を眺めながら想いをめぐらしてみた。

ここワシントン州では、州法によって水に関する規制が殊に厳しい。湖、池、川、渓流、湿地、全ての水際は、厳しく保護され人間の手を入れることは決して許されない。それがたとえ個人の所有にかかるところであっても例外はない。

住宅地の中の川にもサーモンの遡上が見られる、その不思議は人間の側の対応にもあるということを思いめぐらすべきだろう。天からの恵みである水を尊び、水を大切にし、それを決して犯してはならない聖域にまで保護してきたここワシントン州の人たちの心の結果が、私達に不思議や神秘をもたらしているということを知ったとき、私は心の豊かさを感とることができた。

水の世界がその神秘にまで及ぶとき、それをわれわれの祖先は、「瑞々しい」と表現したのだろう。







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